Myanmar移住奮闘記〜ミャンマー創生への道〜

2016年4月にミャンマーへ移住。人生初海外生活を最後のフロンティアミャンマーで体験中。

ミャンマー・ヤンゴンの片隅で。毎月恒例、ダラでドネーションに行ってきた

ミンガラバー。ヤンゴンで探偵をしておりますPhilip D徳 Marloweです。
私がミャンマーに移住して間も無く丸2年が経とうとしていますが、その間のミャンマーの、特に最大都市ヤンゴンの発展は目覚ましいものがあります。

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普段着だった民族衣装・ロンジーを着る人々は、若い人を中心に年々減る傾向にありますし、クリスマスやバレンタインデーなどといった外来文化も徐々に盛り上がりを見せつつあります。あと4~5年もすれば街も人も文化も、今とは見違えるほど変わっていることでしょう。

 

しかし、変化に適応し進化していくものもあれば、変化に取り残され置き去りにされてしまうものもあります。今回はヤンゴンダウンタウンからヤンゴン川の対岸にあるダラという地域について改めて書きたいと思います。

発展から取り残された地域へ

ダラへは、ヤンゴンダウンタウン付近の港からフェリーで僅か5分ほど。日本人であれば、パスポートを見せれば無料で乗船可能です(他の外国人は片道2,000mmk)。フェリーに乗ると、怪しいミャンマー人の若者が気さくに片言の日本語で話しかけてきます。騙す気満々なので無視しましょう。

 

一方で、物売りの小さな子どもたちは目をキラキラさせながら、一生懸命に商売人として我々に物を売ろうとしてきます。子どもの、誠実な商売をしようとする姿勢に毎回胸を打たれ、私もカモメの餌をいつも買ってしまいます。

 

 

 

ダラに到着すると、もうヤンゴン中心部では見ることのできないミャンマーらしい原風景を目の当たりにすることができます。馴染みのドライバーが運転するサイドカーという自転車タクシーに乗り、バンブービレッジという貧民街へ向かいます。
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ひとりで始めたドネーションも、今では大人数で行くように

ダラへ行く目的は単純に顔なじみとなった彼らとのコミュニケーションを取るためです。初めてバンブービレッジを訪れて以来、住民と交流するためのきっかけづくりとして、毎月一度お米のドネーションを、最初はひとりで行き始めました。

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ダラ方面は治安があまり良くないこともあり、訪問に慣れた私に同行したいという声をいただくようになり、次第にツアーも兼ねて複数人で訪れるようになりました。元々シェアハウスを私自身が運営していて、日々多国籍の外国人が短期で出入りしていることからタイミングよく参加してくれることもあって、多くの人たちが関心をもってくれるようになりました。

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ヤンゴン市内に住んでいるミャンマー人でもダラへ訪れたことがない人は多く、ヤンゴン市内の生活に慣れた外国人にとっても、川ひとつ隔てた地域との落差と格差には驚きの連続のようです。将来的には韓国系企業が橋を建設することになっていて、数年後には地域間の移動が容易になることから大きくダラも変わっていくでしょう。既に土地の価格は高騰しつつあり、バラック小屋のような家に住んでいる人々に対して立ち退き勧告が政府から出されているエリアもあります。

 

そんな地域の変化の兆しを感じながら、一方で変化に取り残されて為す術のない人たちがいます。

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私の取り組みは決して良いことをしているとも、それによって何かを変えられるとも思っていません。それでも私がこの地域に訪れるのは、そんな苦境にあっても笑顔全開で私をいつでも受け入れ、元気づけてくれる人々や子どもたちがいるからです。彼らの底抜けの笑顔を見るたびに、この国でもう少し頑張ってみようという気にさせられるのです。

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ミャンマーに訪れる際には、ぜひダラへもご訪問ください。ご連絡をいただければいつでもご案内いたします。

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