【後編】劇的ビフォー・アフター!ミャンマーで自宅をリノベーションしてみた
前回の前編記事に続きまして、ミャンマーの自宅のリノベーションがついに完成しましたのでご紹介します。フィリップ・マーロウ探偵事務所風です。
ななななななな、、、なんということでしょう!!!
センスの欠片もなかったリビングが、こうも鮮やかに生まれ変わるなんて誰が想像したでしょうか。念願だったテレビも設置。これで心置きなく、ひとりで毎日映画鑑賞する生活を満喫できます。近くサウンドシステムも導入して、より心地よい鑑賞環境を整えたいと思います。
広いリビングには、モダンな家具を取り揃えました。
リビングテーブルとサイドテーブルに至っては、既製品では気に入ったものが見つけられずオーダーメイド。
エアコンは奮発して業務用を設置したため、帰宅して瞬時に部屋が涼しくなります。
肝心のプライベートルームは、各部屋にトイレとシャワー室も用意しました。シェアハウスとはいえ、プライバシーが確保されております。もちろんデザインはモダンな感じに仕上がっています。
各種必需品も買い揃え、一通り生活するには困らない環境を揃えました。
でも、すべてがスムーズだったわけではない
仕事柄ミャンマー人の仕事観は十分に知っているため、毎夜仕事を終えると工事中の現場に出向き、ひたすら監視、そして指示出ししました。オーナーからも「お前が毎日来るようになってからスピードが上がった」と言われました。ええ、行かないと絶対に終わりませんからね。
さっそく、一緒に住んでくれるシェアメイトを募集したところ一瞬で枠が埋まりました。今後はこの家を拠点に、引き続きミャンマー創生に向けて頑張ります。
【前編】劇的ビフォー・アフター!ミャンマーで自宅をリノベーションしてみた
ミンガラバー! 最近、おそらく日本人で初!?ミャンマーで自宅のフルリノベーションに挑戦してみました。
壁をぶち壊して再構築
なぜミャンマーで家を作ることになったか
ミャンマーはつい数年前まで軍事政権であり、ほとんど鎖国に近い状態で諸外国から閉ざされたフロンティアでした。民主化に伴い他国からの投資や進出が相次いだことによって外国人の居住者も増えていくことにより、ある大きな問題が生じました。それが「家賃がバカ高い!」問題でございます。
元々外国人が住むことなんてほとんど想定されていなかったヤンゴンの住宅事情において、突如として発生したこの特需。この需要に供給が全く追いつかないことにより、日本では考えられないクオリティの珍物件の数々が到底許容できない価格まで上昇し、供給者有利の状況が続いてきました。日本人の普通の感覚でヤンゴン中心部に住もうとすれば、2000〜3000USD出して、ようやく納得のいくレベルです。
しかし大企業の駐在員でもない限り、まだ多くの企業が投資のステージにあるミャンマーにおいて、そんな家賃を払える人々は少数です。大多数の方が多くの妥協の上でかかるコストに不釣り合いな住居環境の中にいるのではないでしょうか。
ベトナムやタイであればプール付きやジム付き併設が当たり前のような家賃でも、ミャンマーでは価値に見合わない物件で暮らす日々……、そう、我々はドMでございます。週末になると落ち着けるカフェを探し回り、半日以上をそこでコーヒー一杯で過ごす、そんな私のようなカフェ難民も多いはず(D徳調べ)。私はそんな生活に次第に疲れてきました。
そして思ったのです。これから何年も住み続けるミャンマーにおいて、住居問題は一生ついて回る問題です。「カフェみたいな家が欲しい。落ち着ける空間が欲しい……そうだ! 自分で作ろう!」ということで、この一年で培ったネットワークを駆使して、実際に作ってみました。
物件を自らのアイデアでリノベーション
外から見ると明らかに廃屋のようなアパートですが、壁をぶち抜き、窓を取り外し、もはや原型を留めないレベルで解体。そして再構築。部屋のイメージは「フィリップ・マーロウの探偵事務所」をイメージしてデザイン。4月1日から稼働できるよう、現在鋭意リノベ中でございます。家具探しやら何やらと慌ただしい生活を送っております。
日本で地方創生案件に関わっていた時から場づくりの「場」としての空間の重要性を認識し、いつか古民家を再生して運営したいと思っていました。その当時は資金的なことや所有者との関係などで叶わなかったのですが、そこはミャンマー。サクサクと物事が進んでいきます。話が早い!
ミャンマーで挑戦する志をもった同士が気軽に集まれる場を作りたい。私の基本的軸は国を越えても全く変わらないことに気づくことができました。
この続きは完成後に! 乞うご期待!
石川県野々市で講演しました
先週日曜日に石川県野々市で講演の機会を頂きました。野々市役所の野田さんの熱い情熱に心打たれ、今回全く予定になかったのですが、帰国してリアル登壇いたしました。帰国4日目にして、昨日ようやく実家に帰宅しました。
共に登壇したのはリクルート時代の同期2人。3人の共通点はリクルート退職後に公務員(省庁、県庁、市役所※私は更に町役場)として働き、後に起業や海外勤務(ベンチャー)を経験したということです。まさかこのメンツでいつか講演することになろうとは人生分からんものですね。機会を作ってくださった野田さんには心から感謝しています。
地方に行って若者と話すと驚くほど公務員志望の学生が多く(理由が安定しているから!)、自分の人生をかっちりと固定してしまっている若者が多いように思います。大企業、公務員と歩んできて、必ずしも安定が良いかというと案外そうでもなかったという立場からすると、もっと色んなことに挑戦してみれば良いのに、若いんだから!と思ってしまいます。
今回はそのようなキャリアについて話をさせていただきながら、私自身地方の魅力を再発見する機会となりました。今回準備にご協力いただいた皆様との懇親も貴重な出会いです。引き続きFBなどでお付き合いいただけると幸いです。
講演については、私以外の二人が真面目な話をして皆様が感心したところを、自分が破天荒な10代の頃の話をして笑いを起こすという漫才みたいな講演でした。私も真面目な話がしたい。
後日新聞記事にて紹介されました
ヤンゴン最貧地区「ダラ」を歩いたから見えて来た、ミャンマーの急成長とその反動
ヤンゴン随一の危険エリア!?
ヤンゴンの対岸にある最貧地区「ダラ」をふらっと一人旅で訪れました。この地区には国籍がない人や不法滞在者も多くおり、犯罪も比較的多いエリアといわれています。
ダラ地区へは、ヤンゴンのダウンタウンにある船乗り場からフェリーを使って10分ほどで到着。
日本が寄贈したフェリーでダラへ向かう。多くの人々が乗船している
このフェリーは日本政府から2014年に3隻寄贈され、運行されているものです。日本にとっても縁のある地域なんですね。
フェリーでの移動中は、怪しげな現地人が巧みな話術で次々と話しかけてきます。ある人に至っては、ダラに到着後も後ろからついてきて、バイクを勝手にふたりぶん借りて、ガイドを始めようとしてきました。
やたら親しく話しかけてくる人たちは、すべて無視しましょう。大半がボッタクリです。
実際、ダラに到着するなり多くの客引きに遭遇しました。
バイクタクシーや人力車のサイカーなどの乗り物料金は法外な値段を要求してきます。1時間1000円なんてザラです。ヤンゴン市内での移動でさえ300円を超えることは滅多にないだけに、このエリアの外国人をターゲットとしたトラブルは特に多い印象を受けました。
私は意地になって徒歩で散策をしましたが、この料金トラブル以外は、ダラの町はミャンマーの田舎の風情を気軽に楽しめる、素晴らしい地域です。
ヤンゴン市街地とはまた違った風情に癒される
孤児や貧民の村「バンブー・ヴィレッジ」へ
船着場から徒歩で30分ほどの場所にある孤児や貧民の村「バンブー・ヴィレッジ」に立ち寄って来ました。
バンブー・ヴィレッジの入り口。小さな家々が並ぶ
私が予想していたほど治安は悪くなく、村内を歩いていると小さな子どもたちが次々に「ミンガラバ!」(こんにちは)と挨拶しながら笑顔で駆け寄って来ます。
彼らは草花をちぎっては、私にプレゼントしてくれました。
私を見かけると元気に駆け寄って来てくれた子どもたち。人懐っこくてとてもかわいい!
衛生・医療事情は決して良いとはいえず、病や栄養失調などで長生きできる環境ではありません。村のはずれには火葬場がありました。
彼らには生活手段がなく、寄付で受け取るお米などを生活の糧にしているようでした。
私も微力ながら、近くの米屋で米を購入し(ここでも高額を要求してくるので、絶対に値切ること!)、袋に小分けした上で、一軒一軒家を訪ねて寄付をしながら村内を観察してきました。
ボッタクリ米屋を値切り倒してお米を購入し、家々を回って寄付。村民の皆さんも手伝ってくれた
ひと通り見回して気づいたのは、働き手世代の若者をほとんど見かけなかったことです。
若者は小さな子どもか10代後半までで、20〜30代の若者がすっぽり抜けていました。自立できる年齢になった時点で若者は村を離れ、働きに出ているためだと思われます。
この村では、社会的に最も弱い立場の人たちが寄り添って助け合い生活しているのです。
スラム街と聞いていましたが、お米を配る際も運ぶのを手伝ってくれたり、お別れの間際に何度もお礼を言ってくれたりする人々ばかりで、とても温かい気持ちになれる場所でした。
ミャンマー成長の光と影
「アウン・サン・スー・チーさんがいれば、経済は、自分たちの生活はきっと良くなる!」という漠然とした期待をミャンマーの人々は抱いています。
実際にヤンゴン市内の発展の勢いは凄まじく、目まぐるしいスピードで変化を遂げています。
一方で、それらの変化に取り残されてしまった人々に、ヤンゴン市内をほんの少し離れた場所で、こうして出会うこともできます。ミャンマーの光と影を垣間見た想いがします。
スーチーさんの来日などもあって、日本でも新聞やニュースなどでミャンマーの情報を知る機会も増えていると思います。ひとりでも多くの方に実際にミャンマーに来ていただき、日本国として、日本人としてミャンマーに貢献できることを考えてもらえたら嬉しいです。
一番良いのは、この国に移住し、貴重な労働力として貢献いただくことですね。
ミャンマー創生! お待ちしております。
『働き方ネクスト』が出版されました
ミャンマーの住宅事情とルームシェアのススメ。
後先考えず、日本の地方活性化よりもミャンマーの魅力に取り憑かれやってきた私。移住後は家なき子の生活が続いておりましたが、ようやくアパート契約をし、一人暮らしをスタートさせました。そこで今回は、ミャンマーにおける住宅事情についてご紹介します。
意外!ヤンゴンでの家賃はとっても高い
経済成長著しいヤンゴンでは不動産価格が高騰しており、良い物件はなかなか安価で見つかりません。5〜10万円ほどの家賃のアパートでも、日本人の感覚でなんとか許容できるクオリティです。これがベトナムやマレーシアだと、プール付きのコンドミニアムとか借りられるのでしょうね……。
ネット環境を整えようとすると更に家賃を上乗せされるので、ネットを利用するにもひと苦労です。
おまけに家賃は、半年〜1年分を前払いするのが前提なのです。月8万円の家賃であれば、12ヶ月分×8万円+仲介手数料と、100万円を超えてしまいます。
しかもこの国のお札は10000MMK(約1,000円)が一番大きな紙幣になり、かつ現金主義のため、マンションオーナーと賃貸契約を結ぶ際はボストンバッグに札束を詰め込んで持参することになります。かなりドキドキしますよ。
ちなみにミャンマーのATMは1日10万円の引き出しが限度なので、私は毎日銀行に通い10万円を引き出し続け、2週間近くかけて賃料を用意しました……。
物件紹介は、日系不動産会社に依頼すると、マンションのオーナーも足元を見て、割高にしてきます。ミャンマーで家を探す場合は、伝手を頼ってローカルの仲介業者に依頼したほうが、思わぬ好物件を安価で見つけることができるかもしれません。
家がなく、雪のかまくらに住んでいた時の写真(嘘)
新たな世界に出会える!ルームシェアのススメ
借りたアパートは設計から突っ込みどころ満載でした。
私は一人暮らしを想定していたのに、トイレとシャワールームがふたつずつ設置。理由は分かりませんが、こういう事例はミャンマーでは珍しくありません。これもきっかけとなり、家賃負担の軽減も考えて始めたのが、同居人を受け入れることでした。つまり、ルームシェア。実はこれが大当たり!!
少し前に、3週間限定という先方の希望で受け入れたのは、イングランド出身のカップル。3つの大学を渡り歩き、大学院進学を控えた休みの期間にNGO活動も兼ねてミャンマーで活動していたふたりでした。
ミャンマーでの生活も3ヶ月を超えると生活リズムも安定し、刺激が減ってきます。また連日の暑さや雨、交通渋滞などから自然と休日、外に出歩く頻度も減ってきてしまうものです。
それが今回、彼らを受け入れたことで、彼らの所属する欧米人コミュニティやNGOでの取り組みにも参加させてもらい、交友関係が大きく広がりました。まだまだ知らないミャンマーを発見することができたように思います。
また、彼らの様に大学を卒業した後も世界を巡ったり、数年間働いた後に再び大学院に進学したりする生き方は、一度レールに乗ったら二度と降りられない硬直的な日本の社会システムとは基本思想が異なり、私にとって大変刺激になりました。
初期投資はかかりますが、なるべく好物件を探して、その後にシェアメイトを募集して家賃負担を軽減する方法が、ミャンマーでは向いているのかもしれません。
子ども達が集まり賑わう拠点。元気に遊ぶ子どもたちと交流することができます
シェアメイトに限らず、何か困り事の相談や売り買いの情報が欲しければ「Yangon Connection」というFacebookページがおススメです。
ミャンマー内での日用品の売買やシェアメイトの募集などが日々活発に行われています。私もここでシェアメイトを募集したところ、数日で10名以上の応募がありました。
私はいろんな方との共同生活を経験してみたかったので、今回は3週間という条件で受け入れましたが、これからは6ヶ月間、フランス人のフォトグラファーをシェアメイトとして受け入れる予定です。
工夫次第で、不便なミャンマーの住宅事情も楽しいものに変えられます。
ミャンマー移住はあなたの人生を大きく変えますよ!