Myanmar移住奮闘記〜ミャンマー創生への道〜

2016年4月にミャンマーへ移住。人生初海外生活を最後のフロンティアミャンマーで体験中。

カチン州ミッチーナ訪問

こんにちは、D徳です。


先週は、ミャンマー北部カチン州の州都、エーヤワディー川の河畔にある人口約14万人のミッチーナーへ、2泊3日で足を運んで来ました。市名はビルマ語で「大河の辺り」という意味だそうです。

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エーヤワディー川を眺めながらひとり乾杯。ミャン創に想いを馳せる


外国人の訪問がまだ珍しい地域

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新しくなったミッチーナー空港。柱の模様が美しい

 

 

旅のキッカケは1ヶ月間だけD徳探偵事務所で受け入れているフラットメイト。

シンガポール国立大学で講師をしながら、アジアの国境沿いの紛争地域の調査研究をしている女性が2週間だけシェアハウスに滞在していました。彼女から仕事の話を聞いている内に「そんなに興味があるなら来てみる?」という誘いに二つ返事で応え、その場のノリで付いて行くことに。

 

空港に到着すると、外国人はレジスターを要求されます。ここはなんと数年前までは外国人は入域禁止だったエリアなのです。今でも許可が無ければ移動できない場所も多く、外国人は珍しい存在です。中国が鉱石の違法採掘をしていることもあり、川沿いには中華系の立派な家が立ち並んでいました。


これまでメールやスカイプでしかコンタクトを取っていなかった現地コーディネーターたちを介して、次々と仕事をこなしていく彼女。皆、ミャンマー語の他にヒンドゥー語、英語、中国語など最低2言語を使いこなします。

そんな彼女に付き添われて、夜はわらわらと集まって来た現地の人々と夕食。史上最大の失敗と言われるインパール作戦の激戦地ともなったミッチーナで、当時命を賭けて争っていたインド人、ミャンマー人、カチン人、そして日本人の私がこうしてお酒を酌み交わす場に立ち会えたことは光栄なことでした。

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「日本」にこだわるか、誇りとするか

日本を離れてから強烈に自分が日本人であることを意識すると同時に、日本という国に拘る自分はどんどん遠くなっているように思います。同行させてもらったフラットメイトに今後のキャリアについて相談したら「あなたが考えているその選択は、日本では受け入れられないかもしれないけれど、日本に拘らなければ、何のリスクにもならない」と言われ、自分の気持ちが一層定まった気がしました。

 

日本人であることに強い誇りをもつことは海外ではとても大事なことかと思いますが、日本に居ることにこだわっていては、見える世界も見えないまま変化に取り残されてしまいます。

今こそミャンマーに移住しましょう。新しい人生が必ず拓けますよ! ミャン創!